研究概要 |
当初の計画に従い、まず「政区」の対概念をなす、宋元時代の「盗区」「賊区」「寇区」などについての地域的検討を加えた結果、これらは王朝領域の全土に見られるものの、ことに交界地帯、また「某族」など、一般に「非漢民族」と称されるグループの居住する地域の近くにも多く見られることが発見された。そこで具体事例として、研究代表者が従来から研究の中心としている、10〜13世紀の江西および隣接する湖南における、これら「政区」と「盗区」の境界がどこにあったかを、代表者の専門分野である官僚制と法制の双方にわたり、検討した。その際用いた主たる史料は、これまで十分利用されたことのなかった、『名公書判清明集』卷2宋自牧「巡檢因究實取乞」など、江西の宋慈による記録や、范応鈴の事跡であるが、その結論として、招撫政策によって承信郎、承節郎などの下級武階が徭族を含めた有力者に多く授与され、彼らは長期間にわたって巡検や寨主となり、裁判を取り仕切るなどの実態が見られた。 このような、王朝権力の限界に関しては、宋代経済史の斯波義信教授、またイギリスの宋代社会経済史の専門家Joseph D.McDermott教授を招いて2004年8月28日シンポジウム「長江流域史の可能性」を主催した。さらに、2004年12月、台湾中央研究院において行われた国際会議においても、中華帝国の境界を、代表者の扱う13世紀長江中流域に限らず、より広い視点から総合的に考察するために、代表者がチェアーとなって、北海道大学吉開将人氏、大分大学甘利弘樹氏、東京大学張士陽氏らに統一のテーマで研究発表を要請し、The boundaries of the Chinese Empire : bandits, barbarians, and enemiesというタイトルのパネルを開催した。その結果、中央研究院巫仁恕教授のコメント、会場からの活発な討論を得て、「専制権力」が重視される日本とはうらはらに、むしろこうした「限定された現実の王朝権力」との見方が、海外では一般的に受け入れられることが共通の認識として得られた。なお、『宋会要』「黜降官」データベース化については、海外で新情報を得たため、実施に移らずさらに情報収集に努めている。
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