研究課題
キリスト教の対中国布教は、19世紀末から20世紀初、アメリカの福音主義者主導で行われた。その中で、必要性がさけばれ、心血を注がれながらも確固たる成果を挙げられなかった対象者が中国ムスリムである。50年以上にわたる宣教にもかかわらず、改宗者は数十人にとどまった。宣教師たちの対ムスリム布教は、しかし、思わぬ結果をもたらすことになる。それが、イスラーム復興運動である。もともとこの運動は、中国の近代化と国民国家建設熱の中ではぐくまれたものであったが、キリスト教の「挑戦」を受けることによって、なお一層先鋭化した。なぜならば、キリスト教側の布教戦略は、イスラームの「欠点」を存在論的ではなく、現象学的に証明しようとしており、クルアーンを偽啓示ととらえていたからである。もちろん、それはムスリム側にとっては結果的には「侮教」と受け取られる行為であった。ムスリム側はクルアーンの翻訳を含む教義研究、アズハル大学への留学生派遣、イスラーム師範学校の設立、各種啓蒙的雑誌の発刊をすることによって、キリスト教宣教師から突きつけられた論点を論駁する行為にでた。それは、オリエンタリズムに裏打ちされたキリスト教宣教師のイスラーム認識が本当のイスラームではないと、ムスリム社会内部と中国社会全体にも知らせていこうという試みであった。両者の激しい論戦にもかかわらず、ムスリム社会では、宣教師に対する暴力行為は引き起こされなかった。それは、両サイドに宗教の共存こそが平和につながると信じ、相手の宗教に対する敬愛の念を表明した宗教指導者がいたことが大きい。1930年代の北京で活躍した馬松亭アホン、YMCAセクレタリーのライマン・フーヴァーがそれらにあたる。彼らこそ、宗教間対話の必要性を最初に中国で提唱したものの代表であり、他者に対する寛容こそが平和につながるという彼らの考え方は評価されるべきである。
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敬和学園大学人文社会科学研究所 研究年報 3
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Conference Paper of International Conference on Zheng'he's Navigation to the Western Ocean And Dialogues between Civilizations (June 30- July 4, 200 in Yinchuan, Ningxia, China)
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