研究課題
基盤研究(C)
平成16年9月、平成17年3月、8・9月、平成18年8・9月に、ブランデンブルク州立中央文書館で、マルヴィッツ家の関係文書(フリーデルスドルフ文書)とロッホウ家の関係文書(レカーン文書)の記録取りを行った。マルヴィッツ家の文書については、同家の相続や領地経営関係の史料を中心に収集し、ロッホウ家の文書調査では、裁判史料を主に収集するとともに、同家の領地レカーン領の実地調査も行った。ただ後者の文書群については、18世紀後半から19世紀前半にかけての領民の対領主裁判関係文書には未読のものが多く、引き続きかなりの調査を要することがわかってきた。なお副次的産物としてマルヴィッツ家のフリーデルスドルフ領文書の調査の過程で、19世紀初頭の当主の弟であるAlexanderが、ハレ大学に提出した農地制度に関する学位論文を発見した。この人物は夭折したため思想史研究の世界では無名であるが、ハンナ・アーレント「ラーエル・ファルンハーゲン」の中でラーエルに強い思想的影響を与えた恋人として描かれている。これによって当時のロマン主義知識人が近代的農地改革にどのような立場をとろうとしていたのかが、解明できるかもしれない。3年間の調査によって、フリーデルスドルフ領文書に関しては、テーマに関係する文書はほぼ調査を終えることができたが、レカーン領文書については未読文書が多く残ってしまった。成果報告書では、主にマルヴィッツ家・フリーデルスドルフ領に関して、1.同家の相続制度と、2.領地経営に関して、18世紀から19世紀前半にかけてそれぞれ変化する過程を詳細におい、同家の近世的土地貴族から近代的ユンカーへの転身の経緯を描き出している。具体的には、19世紀最初の当主Friedrich August Ludwigによって、新農法が直営地に導入され、これに適合的な経営組織と労働力が作り出された。またそれとともに、極端な平等分割を廃して、事実上の単独相続制と債務の厳格管理を旨とする「家族世襲財産制」Fideikommissが用意され、近代貴族家として生き残るための家族法的基盤が創出された。
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山形大学歴史・地理・人類学論集 7
ページ: 19-32
Journal of History, Geography and Cultural Anthropology No.7