テレビもラジオもなければ、文字さえ一般民衆にとってはほとんど目にする機会がなかった時代においては、音だけが、唯一に近いメディアであり、音から歴史を探る意義は大きい。本研究においては、それらの音のうち、鐘と喇叭の音にとりわけ着目して、西欧中世における信号音の意義を考察した。 史料としては、都市のさまざまな条例、規約やギルド、信心会、修道院関係史料、さらに会計史料などを用い、それらのところどころに記載されている「音」の記述を拾い集めたが、それととともにより広い背景を知るために、中世・ルネサンスの文化史・社会史関連の研究書を入手熟読して、さまざまな角度から検討を重ねた。さらに、それぞれの音のメッセージの象徴的な意義を、音の鳴る環境および周囲に張り巡らされた力関係とともに探るためには、実際にいかなる「場」で音が鳴っていたかを確認する必要があるため、中世・ルネサンス期の市民と貴族にとっての音の「場」として、北イタリアの都市の広場および教会、そして都市周辺の農村に作られたヴィラを訪れ、綿密に観察し、その姿を写真に収めた。これらの調査研究により、地域・年代ごとの音の用途別分布の差異が、ある程度明らかになった。具体的な成果としては、盛期中世のコミューン運動における鐘の役割、十字軍などの際の銀のラッパの合図、王権による鐘の没収、中世末の下層民反乱(フィレンツェのチョンピの乱など)での糾合の音、音のリレー、さらには王侯の入市式をはじめとする儀礼における楽師の音楽などの実態を解明し、それらに表れた社会関係ならびに支配・被支配関係を明らかにできた。
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