本年度は1921年飢饉の実態とその支援活動で大きな役割を果たしたアメリカ援助局の活動に関する調査のために、Stanford大学Hoover Institutionと同大学図書館での資料収集を行った。特にHoover Institution所蔵の資料は当時のロシア住民の人口動態などに関して、きわめて多数の統計資料を含み、まだ完全には分析がなされていないとしても、これまでロシア側の資料では見られなかった21年飢饉の客観的現実を解明する大きな手がかりとなりうる。 これら資料で確認できることは、従来は21年飢饉の最大の罹災地域はヴォルガ流域とされていたが、実際には次の2点が特徴的である。第一に、ヴォルガ流域諸県と同様に、これまでロシアの穀倉地帯であったシベリアとウクライナできわめて厳しい飢饉が認められること。第二に、ヴォルガ流域から中央アジアにかけての周辺民族自治州・自治共和国で飢餓民の比率が相対的に高いことである。 特に後者に関しては、アメリカ援助局の支援活動がバシキリアやタタール共和国のような周辺部に集中されていたために、Hoover Institution所蔵の資料はこの点でも有益で、在ロシアのアルヒーフ以上に価値がある。すなわち、ロシア共和国内だけでなく、それぞれの民族共和国間、ウクライナとシベリアの間で、非常に広範囲にわたる人口移動が、避難民または担ぎ屋の流れとして生じたことが裏付けされるからである。 1921年におけるネップ体制は、特にその政策の根幹をなす私的市場取引の一定の容認は、これまでは現物税布告の中にある条文によって政策論的に導入されたと解釈されてきたが、それでは当初この布告の適用範囲外だったシベリア、ウクライナ、周辺共和国でも同様に私的市場が展開されたことが説明できない。こうして、21年飢饉の実態を視野に入れることで、初めて21年ネップ体制の全体像を俯瞰することができることを、本年度は確認することができた。
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