本研究は、祖父母の代に3人以上ユダヤ教徒がいたために、第三帝国下でユダヤ人とされた「ユダヤ人キリスト教徒」の動向に関する研究である。 1、昨年度末に外国旅費を利用してドイツを訪れた際に、ルートヴィヒスブルク国立文書館とベルリン工科大学反ユダヤ主義研究センターで新たに収集してきた「ユダヤ人キリスト教徒」エルヴィン・ゴルトマンに関する遺稿史料や非ナチ化裁判記録の分析を行った。彼は一時期、SDやゲシュタポに民情報告者という形で協力していた。 ゴルトマンの非ナチ化裁判の初審が終了する1947年9月までに絞って、まず史料を整理した。ゴルトマン自身は、すでに45年5月にシュトゥットガルトのドイツ警察の手で逮捕され、8月には近郊のルートヴィヒスブルクのアメリカ軍抑留者収容所に送られている。そこでの模範的な態度をアメリカ側の収容所長に評価され、47年1月末に釈放された彼を、ドイツ側が再度逮捕して、この非ナチ化裁判は始まった。ゴルトマンが大戦中にSDやゲシュタポで民情報告に関与した際に、告発された側からの報復意図を、シュトゥットガルトの警察署長が汲んで、ゴルトマンの再逮捕と裁判が始まったことがわかった。公職に復帰するための「潔白証明書」を入手するための非ナチ化裁判という、形骸化された非ナチ化のイメージとは全く異なる様相が、この事例からうかがえた。裁判記録からは、同時に、第三帝国下で彼の置かれた困難な状況が具体的にうかがえた。これらの点は、雑誌論文として発表した(裏面参照)。 2、安田女子大学図書館が所蔵するマイクロフィッシュAkten der Parteikanzlei der NSDAPのなかから、混合婚や混血者に関するナチ党文書史料を選び出しながら、現在収集中である。
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