本研究はイギリス本国において、「自然の限界」への危惧が高まり、自然環境保護のための具体的な運動が本格的に展開されるようになった19世紀半ば以降、英領アフリカで展開された野生動物保護の運動について、その歴史的特質を明らかにすることであった。 そのために、本研究は三つの柱を設定した。一つは、英領アフリカでの保護運動の実態として、主に英領南アフリカおよび東アフリカに焦点を据えて、その運動の展開を明らかにすること。二つ目に、イギリス帝国の野生動物保護運動は、個々の植民地の枠を越え、相互の運動を結びつける人的ネットワークの上に展開した。そのネットワークの広がり、歴史的特質を明らかにすること。そして、最後に、このネットワークによって、英領アジアにも野生動物保護運動の波が1920年代以降広がるが、それと英領アフリカの運動の関連と、両者を比較することである。 一点目に関して、南アフリカにおける野生動物保護運動が、オランダ系ブーア人との政治的紛争と絡み合って進展していったこと。そして、最終的にクリューガ国立公園形成へと向かう動きが、英連邦からの離反の動きとむすびついていたことがあきらかになった。東アフリカについては、英領タンガニーカの経験、具体的にはアルーシャ、セレンゲティ両国立公園形成にいたるプロセスの分析をおこなった。 二点目に関して得られた知見が、今回の研究の最大の成果と思われる。20世紀初頭に結成された帝国野生動物保護協会こそが、イギリス帝国が築きあげた野生動物保護のネットワークの中心であった。しかし、当初英領アフリカの保護運動に焦点をあてていたこのネットワークは、次第にその範囲を広げ、20年代には英領アジアへ、そして、30年代には、ロンドンでの野生動植物保護の為の国際会議の開催や、その人的ネットワークの社会基盤の変化とともに、英帝国の枠を越え、現代のグローバルな保護運動の基盤を形成することになったことなどがあきらかとなった。。 最後に、英領マラヤに焦点を据えて、当地の野生動物保護の運動と、アフリカでの経験との関連、さらに両者の比較を簡単におこなった。上記のネットワークの存在により、二つの地域の運動は関連しあっていたこと、しかし、アジアでは保護運動に対する白人植民者側からの激しい抵抗がみられたことなどが明らかとなった。
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