16年度については、九世紀後半から915年までの所謂ビザンツ帝国の南イタリア再征服について考察した。既存研究では、このビザンツの再征服の契機が、南イタリアのバーリやタラント等を拠点とするイスラム勢力の脅威の増大に対して、ローマ教皇やカロリング朝皇帝の軍事援助要請に応えたという宗教戦争的文脈で語られてきた。しかしこれらの南イタリアのイスラム勢力は、当時抗争を繰り広げていた現地勢力に傭兵として雇われていた者達であった。つまり当時南イタリアで展開していたのは、キリスト教とイスラム教の混成軍同士の戦いであったのである。ただ、これらのイスラム勢力は南イタリアでの軍事衝突が無い時には、ローマ教皇領等の中部イタリアで略奪を行うのが慣例化するようになり、イスラムとの共存が望めない中部イタリア勢力がビザンツに南イタリアのイスラム勢力の一掃を依頼したというのが実情であった。つまりビザンツの再征服は、イスラムからの南イタリア解放ではなく、中部イタリアに対するイスラムの脅威の除去という性格のものであったと評価すべきなのである。 そのためビザンツの対イスラム派兵に対して、当初南イタリア諸勢力は静観の構えを見せていた。しかしビザンツのイスラム拠点の個別撃破によってイスラム傭兵の供給が枯渇していくと、ナポリを初例として諸勢力はビザンツとの外交関係の樹立によって、ビザンツ軍の提供を受ける事で兵力を補填するようになる。つまりビザンツの南イタリアにおける勢力確立は、従来の諸勢力の抗争の延長線上に為された事になる。それはビザンツの再征服は、現地におけるイスラム傭兵時代に終止符を打ったものとして認識されるべきである事を示している。そして、傭兵と違ってビザンツ兵同士を戦わせる事は不可能であった事で、南イタリア社会の安定化に寄与したと言える。
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