本研究の成果として、プルタルコス「アレクサンドロス伝」の新訳を作成した。特にこの作品に注目した理由は以下の点にある。 (1)大王の死後4世紀近く後に書かれたもので、現在では失われた歴史書を多数活用している。 (2)歴史上の重要事件だけでなく、大王の個人的・日常的な言動を豊かに記録している。 (3)ある事件について異なる伝承がある場合、各々の作者とその内容を両論併記の形で記述している。 (4)プルタルコス自身のコメントには、帝政初期におけるローマ人の価値観や大王像が反映している。 以上から、プルタルコスの伝記は、大王の治世からヘレニズム時代を経て、ローマ時代に至るまでのアレクサンドロス神話の形成と展開をたどる上できわめて貴重な材料となるのである。 研究と訳文作成の結果、具体的に次の点が明らかとなった。 (1)大王伝執筆にあたってプルタルコスが用いた作品は、歴史書だけでなく、地理や宗教から興味本位の物語まで非常に広範にわたる。特に東方世界については帝政初期のローマ人が有していた知識を総動員した観がある。 (2)基本的にはアレクサンドロスを、傑出した王にして将軍、英雄の再来として描いている。彼の人格については、女性に対する態度に見られるように、美点を過度に理想化する傾向が強い。その反面、側近の殺害といった愚行・誤りについては弁明の調子で記述している。 (3)東方遠征を神託や神の加護といった宗教的な色彩のなかで描く傾向があり、大王の行動を神の名で正当化している。ただし、彼が自分を神の子と見なしていたことは批判的で、人間の神格化に対するローマ時代特有の醒めた意識がうかがえる。 今後はこの本文に対する詳細な歴史的注釈を作成し、その中に本研究の成果をもりこむ予定である。
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