研究課題
基盤研究(C)
科学研究費を利用して英国・ロンドンの公文書館に赴き、13世紀ケムブリッジシァの巡回裁判記録、土地保有に関する記録、王座裁判所、民訴裁判所記録などを転写し、コンピュータに入力した。それをもとに、ケムブリッジシアにある14のハンドレッドすべてについて、陪審員となった人々の個人別同定作業を行った。すなわち彼らの主従関係、土地保有関係、巡回裁判における対立や協力、血縁や庇護関係などである。1247年実施の巡回裁判記録から1290年代の終わりまで、13世紀分を全て入力した。陪審員以外の訴訟当事者の情報については1261年と1268年の記録まで入力を終えた。その結果、未解明の様々なことが判明した。ハンドレッド陪審の構成から判断する限り、ハンドレッド共同体とか、州共同体と呼べるような利害の共通する団体は形成されては居らず、むしろ内部で対立が読み取れる。国王も特権諸侯も在地の陪審の告発や評決に介入することを避け、結果を追認する傾向にあった。裁判、徴税、諸調査などでは国王も特権諸侯も在地住民の協力を必要としており、それを取り付ける努力をした。(訴訟幇助、国王へのとりなし、没収財産の回復など)国王と特権諸侯とは地域住民の利益や支持を獲得するために、相互にギヴ・アンド・テイクの関係にあり、1258年に諸侯の反乱が起こってからは、一方的に国王が諸侯に命令下すという関係ではなくなった。この調査の結果、13世紀後半のイングランドにおいては、権力主体として国王、特権諸侯の団体、そしてばらばらな地域社会という三者が措定され得ることが判明した。それぞれは異なる存在意義を持って他の二者と対立あるいは協力していた。1215年段階から、1258年を経て1290年代にいたるうちにこの三者の関係がどのように変化するのかを確定することが、私の研究の究極の目標であるが、そのうちの後半部分についての歴史像を、過去3年間の研究で達成しえたと考えている。具体的には冊子体の成果報告書を参照されたい。
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