ドイツの商科大学のうち、「学籍簿」(Matrikelbuch)が残存しているのはライプチヒ、ケルン、ニュルンベルクの3商科大学のみである。このうち、今年度は昨年度に続いてライプチヒとケルンの学籍簿を調査した。昨年度は「国籍」と「性別」に重点をおいたが、今年度は「信仰」、とりわけ、ユダヤ教徒を中心に調べた。また、他の高等教育機関と比較するため、フンボルトの理念による大学(古典大学)と実科系の大学として伝統のある工科大学の数値、さらにはオーストリア・ハンガリーとの比較のため、プラハ、ウィーン、ブダペストの大学と工科大学の数値を調査した。いまのところ、ライプチヒについては、1898年から1921年までの商科大学の学生総数5859名のうち、811名のユダヤ教徒を特定できた。構成比は13.4パーセントである。これは、たとえば1910年夏学期のミュンヘンの古典大学(9.3%)や工科大学(7.0%)、さらには1911年夏学期のプロイセンの10大学(5.6%)よりも高いが、ウィーンやプラハよりもはるかに低い。1901年冬学期の数値であるが、ウィーン大学は23.5%、同工科大学は27.8%、プラハ大学(ドイツ系)28.5%、同工科大学31.7%であった。だが、外国人だけをみるとライプチヒ商科大学の比率はウィーンやプラハよりも高かった。つまり、ドイツの大学が「世界の大学」であった時代、古典大学よりも商科大学のほうが、外国人、とくにユダヤ系の外国人に対して強い磁力をもち、ドイツにひきつけていたことが確認できた。
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