◎本研究では、以下の作業に基づき、前半期古墳時代においては、いまだ親族集団を基礎とした首長制社会であり、首長が親族集団から突出するのは6世紀に至ってからであるとの結論を得た。 ◎大阪府百舌鳥古墳群などへの現地踏査を行い、その時期、群構成、個々の時期的関係等の考古学的情報を検討し、陪塚とされている古墳の配置・規模・時期についての知見を整理した。とりわけ、規模・群構造からみて、「内臣論」は成立が困難であるとの結論に達した。 ◎出土人骨の親族関係分析により、前半期の古墳は特定個人墓とされてきたものの、個人はおろか家族の範囲すら逸脱した構成・集団を背景とすることが明らかとなった。そして、古墳群についても、階級関係を反映したものではなく、親族集団を背景とした族墓であり、古墳群内の優劣は親族集団内の階層関係であるとの結論に達した。また、その構造は、九州でも近畿においても、さらには関東地方においても、基本的に同一であるとの結論も得た。 ◎また、5世紀代の首長墳にみられる陪塚についても、親族集団の脈絡で捉えられ、「内臣論」は成立しないが、階層化は進行しており、主墳被葬者とより近い親族における階層関係を示すとモデル化された。
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