古墳時代以降における漁撈民の生業形態・社会的役割に関して、考古学の諸成果を基礎として、その解明を行った。今年度においては、特に東北地方における漁撈民について、その様相を明らかにした。 そこでは弥生時代から存在する、農耕社会へ水産物を提供するといった専業的漁撈民の存在だけでなく、まったく異なった在り方が想定された。すなわち第1に、地域首長への贄としての水産物を提供する存在である。さらに第2として、蝦夷地域への中央政権の遠征時における「水軍」の水夫として徴用された漁撈民の存在も考えられた。 7世紀以後、律令体制確立過程においては、上記の存在以外に、中央貴族層の威信財としての毛皮類を朝貢するような漁撈民も活発な活動をするようになる。さらに多賀城に知られるような官衙の発達とともに、製塩も開始され、漁撈民は、そこでの労働力として収奪される状況も認められる。さらには俘囚として、関東以西の「内国」へ移配された漁撈民も確認される。 また9世紀以後には北方地域、とくに北海道地方との交易が発展するが、そこには交易者に成長した漁撈民の後裔を見ることができるとした。
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