今年度は北海道・四国等での資料収集を行ったが、成果としては前年度までに基本的な資料を収集した九州での漁撈民の歴史的復元を『生業の考古学』(同成社刊行)において、「西北九州における雌型銛頭の伝統」というタイトルで公刊した。 すなわち縄文時代においては、銛を使用した外洋での漁撈活動を行う民の存在と、彼らが単なる漁撈民ではなく、朝鮮半島等との交易者としての役割を果たしていたことを明らかにした。 さらに弥生・古墳時代以降、地域的な「國」、あるいは「倭国」が成立するなかで、そうした漁撈民が、特殊な漁撈民として、潜水漁撈民としての特徴を明らかにするようになり、アワビなどの「贄」の貢納民としての役割を担うようになった点も指摘した。もちろん、交易民さらには軍事遠征における水軍などにも徴用されるようになった事は、文献資料からも明らかである。 こうした漁撈民はまた古墳時代において捕鯨活動に積極的に従事するようになった事は、古墳出土の鉄製銛頭からも推測さる。さらにその伝統は、近世における西海捕鯨にも連なったと推測される。 また西北九州において民俗学的に知られる「家船」民も、こうした縄文時代以来の漁撈文化伝統に位置づけられることを指摘した。
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