本研究では高句麗古墳壁画の中心的題材である墓主像に対して、中国・朝鮮半島の漢代から隋唐代までの墳墓の壁画と相関的な比較研究を行うとともに、中国・朝鮮半島の文献史料から墓主像のもつ属性を検証する。具体的には墓主像について図像としての系譜性をもとめるとともに、図像としての比較研究に加えて、墓主像が描かれた思想的背景を探究すべく、文献史料からの位置づけを行い、いわゆる図像学的な解析を行った。その結果として、いくつかの論点を示した。 その一点めは高句麗古墳壁画の中心的要素である墓主像の構図の分析から、魏晋南北朝期において、西域から雲南地域までの中華世界に展開した壁画墓主像の系統上に位置づけられることを論じた。 二点めには、主として魏晋南北朝期の文献史料との対比研究によって、墓主の持物や姿態を検討し、墓主が位置する中華世界での社会的階層を示した。 三点めには、魏晋南北朝期の壁画に描かれる墓主像とは異なる描写の墓主像である鎧馬像を抽出し、これによって高句麗独自の壁画墓主像について検討した。ここから中華世界では本来、墓主に供奉する人士の図像が、高句麗では墓主像として描かれていることを論じ、これによって高句麗における古墳壁画と社会構成層の独自の展開を証した。 四点めには、本来、高句麗社会には存在しなかったと考えられる角杯という外来器物が最初に描かれた徳興里古墳によって、徳興里古墳の墓主である亡命漢人の「鎮」などによって、外来器物や文化が将来されたことを論じた。 以上のように、本研究では、図像と文献史料との相関性から保証される客観性と相対性によって、高句麗古墳壁画の墓主像を、中華世界のなかで吟味し、その結果として、東アジアの政治や文化の接触地域である高句麗地域における社会構成や文化伝播を具体的に論じた。この点において、東アジアにおける古代壁画の研究に、新たな方向性を提示しえたと思量する。
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