2004年度は韓国釜山市江西区の金海竹島倭城本丸の東虎口と東北隅櫓台の平面・立面測量を行い、図化した。当城は文禄の役時に鍋島直茂・勝茂によって築城・在番され、慶長の役でも使用された。2004年7月から東亜大学校博物館が当城本丸丘陵の西側丘陵の倭城遺構を発掘調査中であり、この測量も合同調査のかたちをとった。隅櫓台の高石垣は隅角部の脇石が脱落し、いつ崩壊してもおかしくない危険な状況だったが、平面・立面図を作成することができた。東亜大と測量報告書を準備中である。また先年、蔚山科学大学と合同で行った蔚山市西生浦倭城の測量調査報告書も製作中である。2000年以降、韓国側の倭城調査は目白押しで、何冊か正報告書も刊行されている。これらは日本国内でほとんど紹介されていないことに鑑み、現地説明会資料も含めて翻訳を行った。各調査の概要は「韓国の最近の倭城調査について」で紹介した。築造・使用年代が限定される倭城(1592〜98年)と豊臣氏大坂城(1583年築造開始・1598年改造)・徳川氏大坂城(1620年築造開始)は近世城郭を考えるに当って、構成要素の時期決定の定点になるが、倭城と徳川氏大坂城の間には関ヶ原合戦(1600年)以降の築城ラッシュがあり、別の要素の介入もあり得る。そこで2005年秋に大阪市中央公会堂で開催する国際倭城シンポでは、倭城と同時期の国内の城、元和一国一城令で廃城になる関ヶ原以降築造の支城群も俎上に乗せ、倭城築造がもたらせた近世城郭築造の思想や技術が何であったか、という点まで議論すべく準備を急いでいる。
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