本研究は、近年の考古学的調査の進展に鑑み、発掘遺構および地理的な事象や文献史料の再検討を通じて、これまで不明であった7世紀以前の宮殿の所在を具体的に推定すること、そして当時の交通路との関係を含めた占地の面を中心に、宮殿として通有の特徴の存否ならびに時代や地域による変化を明らかにすることを目的としている。 初年度にあたる本年度は、まず、その所在が明らかになった7世紀代の諸官について、占地の面から、水系上の位置、標高および周囲との比高、丘陵や平地との相互関係、主要道路および前代の宮殿所在地からの方向と距離などの属性を、宮殿ごとに整理した。 また、関連地域における考古学的なデータを収集して、豪族居館や宮殿としての可能性をもつ遺構を抽出し、建築全体の規模、柱掘形の大小、柱間寸法の長短、付帯施設の有無と状況、一般集落との位置関係、出土遺物の状況などのデータを整理する作業をおこなった。これらを、宮殿であることが確実な既知の遺構と比較することにより、性格を判断する材料とすることができる。 一方、『日本書紀』『古事記』および『扶桑略記』『帝王編年記』などの基礎的な文献を対象に、関連記事を含めた史料を収集し、宮殿記載についての妥当性を検討する作業を開始した。 また、上記の作業と並行して、実際に現地に赴いての踏査を開始した。机上で検討した状況との間に齟齬がないかを検証するとともに、地図上では充分に知りえない部分の補足的な調査と記録の作成を目的としたもので、本年度は、7世紀の諸宮をおもな対象に、奈良盆地南部を中心とする地域で実施した。さらに、それらを同時期のほかの関連施設の立地と比較するため、、他地域についても、一部踏査をおこなった。
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