古墳時代から古代の冶金工房の基礎的構造を分析した結果、以下の諸点が明らかとなった。まず、冶金業種のみからなる冶金工房と冶金業種と非冶金業種が混在する冶金工房(複合冶金工房)の2類型に大別される。複合冶金工房は、その内容から(1)玉作工ないしガラス工を伴うもの、(2)玉作・ガラス工と漆工を伴うもの、(3)漆工を伴うもの、(4)須恵器窯を伴うものの4類に細分できた。また、規模からはA)小規模、B)中〜大規模、C)大規模の3類に細分できた。(1)の工房は古墳時代前期から認められ、これを「伝統的複合冶金工房」と仮称する。漆工を伴う(2)・(3)は7世紀後半から出現するもので「律令的複合冶金工房」と仮称する。これらを検討した結果、伝統的側面を有するC(2)類が「多角的な大規模協業形式をとる綜合型工房群」(浅香年木、1971年)である初期官営工房の具体的態様であることが判明した。C(2)類は「伝統的複合冶金工房」が止揚されて出現したもので、8世紀以降伝統的な側面が薄らいで行き、C(3)類へと発展していくのである。「伝統的複合冶金工房」から「律令的複合冶金工房」への発展の契機は、律令体制整備のための量産化である。これには、単一の冶金業種(鉄鍛冶)で構成される大県遺跡(大阪府)の工房が重要な歴史的役割を果たしたことを、本研究で初めて具体的に示すことができた。また、量産化方式には(1)工人を多数集めて、個別に操業する多数の工房を一カ所に集約する方式と、(2)多数の工人を一つの工房に集約して共同で操業させる方式とがあり、銅・鉄いずれの冶金業種でも(1)が主体であり、(2)を鉄鍛冶工房において部分的に認められるものであることが判明した。以上のように本研究により、律令制の成立に果たした古代冶金工房の歴史的意義が冶金考古学の側面から具体的に明らかとなった点が新しく、また重要である。
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