日本列島、韓半島、中国の武器・武具の資料を収集、データベース化していく過程において、相互に共通する、あるいは、それぞれの地域間の交流を示す資料の存在が明らかになる一方で、それぞれの地域に特徴的な、つまり在地の独自性を示す資料の存在も明らかになった。特に、5世紀の日本列島に出現した騎兵装備は、中国東北地方を源流とし、韓半島を経由してもたらされた考えられる外来の武装であるが、古墳出土の甲冑や付属具を個々の遺物としてではなく、武装という観点で捉えてその内容を詳細に検討すると、中国や韓半島とまったく同じとは言いがたい状況であることが明らかになってきた。それは、弥生時代以降の日本列島における防禦具が、弓矢をはじめとする攻撃用武器の変遷と密擦に関連しているため、外来の影響を受けつつも、中国や韓半島とは異なった独自の変遷を遂げたことによると考えられるのである。 このような武装の相違は、戦闘方法の違いにつながるものであり、さらには、防禦施設の構造にも違いがあった可能性を窺わせるものである。つまり、防禦具は、日本列島内における戦闘に対処する装備として整えられてきたのであり、それゆえに、騎兵装備を受容するにあたっても、異なった武装になったと考えられるのである。 なお、関連資料として収集した馬具に関しては、中国、韓半島、日本列島で、鞍橋木部の作り方が一致する例が存在することから、3地域が同一の技術の系譜関係にあることが確認された。
|