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2005 年度 実績報告書

金工技術から見た倭王権と古代東アジア

研究課題

研究課題/領域番号 16520479
研究機関独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所

研究代表者

高橋 克壽  独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所, 平城宮跡発掘調査部, 主任研究官 (50226825)

キーワード倭王権 / 金銅製品 / 金工技術 / 新羅 / 百済 / 馬具 / 金製垂飾付耳飾
研究概要

倭王権は6世紀に入ると多方面で金銅製品を製作することが可能となる。そうすると各地の有力首長に対して倭王権は、馬具や武具以外に加えて冠や履、耳飾などの装身具から飾り大刀などの武器に至るまでセットとして差をつけながら大量に配るようになる。その前半の技術的特長がガラスや歩揺を散りばめたり、透彫と波状列点文によって飾られた装身具類であった。これらは意匠とともに百済から学んだ公算が高い。
この制度が整う前の5世紀には、倭王権から再分配されたと考えられる金工製品と、各地の有力首長が直接入手しえた金工製品が混在する段階であった。前者は武具、馬具に限られ、倭王権は金銅装の技術を限定的に学び取り、応用した。
直接入手したと考えられるものの中でも、セットごと金工製品が確認できる新沢126号墳例は、新羅での副葬品組成と共通性が強い点で抜きん出ている。しかし、金工技術導入期に見られる単品の舶載品の特長もやはり同時期の新羅に近いことから、倭への技術導入に対する新羅の関与を再評価する必要がある。
ところが、新羅の王陵級古墳出土遺物自体、淵源を高句麗や中国に求められる。そのため、セットとしてそろわない場合は新羅を経由しなくても中国から直接、あるいは百済経由で製品を倭が入手しえた可能性が残る。とくに初期のf字形鏡板、剣菱形杏葉の存在は新羅以外からの入手を考えさせる。このように故地をみつけにくいのは、金銅製品への傾倒が日韓双方でほとんど同時に始まったことに原因がある。
形態差と分布域がかなり対応することから製作地をしぼりやすいと認識されている長鎖式の金製垂飾付耳飾についても、5世紀の段階は製作地を技術方面から限定することは難しい。ただし、耳飾は他の金工品を伴わず単独で出土する場合が多く、沿岸地域の朝鮮半島系埋葬施設から出土する傾向が強い。したがって、地域の首長が独自の交渉の結果で入手しえたものがあると判断される。

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公開日: 2007-04-02   更新日: 2016-04-21  

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