本研究の対象は、ブラジルの都市において1990年以降、貧困層の若者から大きな支持を得ているヒップホップという音楽とスタイルである。研究の目的は、この研究対象の実態を明らかにすることを通して、貧困層の若者がどのように自己を表現しアイデンティティを構築しているかを考察することである。ブラジルのヒップホップは、米国のヒップホップを土着化した音楽とスタイルである。リオデジャネイロでは、それは「ファンキ」と呼ばれ、サンパウロでは「ヒッピホッピ」と呼ばれる。両者に共通するモチーフは、若者が日常的に経験する貧しさと社会的排除の実態および犯罪である。都市の貧しい若者のアイデンティティの構築にとって、これらのモチーフは根本的であることが理解できる。一方、リオデジャネイロのファンキに固有の特徴は、2000年代以降、ファンキの歌詞に快楽と暴力の強調が見られる点である。サンパウロのヒッピホッピに固有の特徴は、人種デモクラシーに対する批判とネグリチュードの主張である。両者にはこのような違いが見られるが、どちらも政府や富裕層に対する批判性であり、かっ貧しい若者が、社会において自ら「内なる他者」であろうとする点である。したがって、ブラジルのヒップホップの社会的文化的な意味は、貧しい若者が社会において自らを差異化することによって、支配層を排除し彼ら自身の世界の境界を画定することであると考えられる。今後は、米国をはじめ、アフリカ都市部およびラテンアメリカ各国のヒップホップとの比較研究を進めたい。
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