1.城塞の地域的分布に関して、中部ライン領域では中世盛期に約300の城塞が成立した。この時期に建設場所は平地から丘や山の上へと移り、建築材料は11世紀以降木材から石や煉瓦に変わった。城塞名は主に建設者や封建主君の名、地名、部族名等から取られた。築城権は元来国王が保持したが、しかしその他の貴族によって無視され城塞建設が実行された。城塞の財産関係について、城塞は主君からのレーエン(封)か自由財産であった。城塞主の身分の変動が城塞の財産権に決定的な影響を及ぼすことがあった。バイエルンとオーストリアでは13世紀以後城塞が裁判管区の中心となった。城塞名は支配権と同義で使われ、城塞は支配権の核心であり、荘園等の世俗支配権の中心であった。 2:11-13世紀のトリール領域(中部ライン領域)の城塞を10ヵ所取り上げ、これらの城塞の周辺地が支配権(区)であったことを示す用語を検出することができた。その用語は「chatelerieシャテルニー」並びに「detroit罰令区」「付属物」(ベルンカステルとフーノルシュタイン両城塞)、「付属する関税徴収権と裁判権と付属物」(コッヘム城塞)、「区域」「付属物」(コーベルン城塞)、「保護区」(キュルブルク城塞)、「付属物または付帯物」(マールベルク城塞)、「罰令区」(モンタバウアー)、「支配領域」(モンクレール城塞)、「荘園とすべての付属物」(ナッサウ城塞)、「罰令区」「裁判区」(トライス城塞)である。 3.城塞周辺の付属物、保護区、支配領域、罰令区は実体的にも城塞主の裁判権が行使される支配領域であり、フランスのシャテルニーと同一視することが可能である。16年度の計画に従って、概略的に以上三点が明らかにされた。
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