研究実績の概要は以下のとおりである。 1.1935年のニュルンベルク法のなかのユダヤ人排斥立法「公民法」で用いられた公民(Reichsburger)とヴァイマール憲法で用いられた公民(Staatsburger)の思想史的系譜を探ったこと。 2.Staatsburgerは、1789年のフランス革命時に制定された「人(homme)および市民(citoyen)の権利宣言」(人権宣言)のシトワイアン(citoyen)にあたる用語であり、オム(homme、Menschen)とは異なる概念であること。 3.ナチスは、この抽象的な人権(Menschenrechte)と具体的な公民権(Staatsburgerrechte)とを区別したうえで、さらにユダヤ人の公民権を剥奪するために神聖ローマ帝国に起源のあるReichsburgerという概念を採用したこと。 4.したがって公民Reichesburgerには、1935年まで公民権(Staatsburgerrechte)を有したユダヤ人は入らないこと。 5.ナチス時代のユダヤ人抑圧立法の視角から眺めると、ゲオルク・イェリネックの『人および市民Burgerの権利宣言』という表題についても再考すべきであること。すなわち『人および公民Staatsburgerの権利宣言』と表記することも可能であること。 6.こういった観点から、イェリネックによってフランス「人権宣言」の起源とされたアメリカ植民地時代(特に17世紀)の人権、とりわけ信教・良心の自由の成立史を探る必要性に導かれたこと。またBurgerとStaatsburgerの概念史的相違についても引き続き探求することが必要であること。
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