「法は家庭に入らず」の原則は、欧米ではローマ法からコモン・ローを通じて存在しているが、アメリカでは近代社会において法が整備されるなか、国家は様々な立法により家庭へ進入してきた。そこで、家庭に介入しようとする国家と、それに抗う家族との戦いがアメリカ連邦最高裁判所に現れ、国家から介入されない家族というプライバシーの領域が形成されてきた。 家族のプライバシーを尊重することは、親の子どもに対する権限に国家が介入しないことを意味する。親が子どもをどのように教育するかについて、親には国家に介入されない憲法上の権利があることを、連邦最高裁は歴代の判例において確認しているからである。しかし例えば、家庭のなかにおける女性の隷属、親による子の支配、あるいはドメスティック・バイオレンスや児童虐待の問題等、家族間における夫と妻、親と子の利益が衝突する場合、家族のプライバシーを尊重すると、女性や子どもの利益を守ることができない。従来の家族のプライバシー論では、これを解決するのに限界が生じるのである。また、連邦最高裁が認めるプライバシーを持つ「家族」とは一体何なのか。単身家族、拡大家族、再婚家族、同性愛家族等の伝統的ではない非核家族の登場により、「家族」の定義が揺らいでいる現代の特徴からも、この議論の限界を見ることができる。 そこで、家族のプライバシー論に代わるものとして、アメリカではフェミニズムを中心に、「公的家族論」が主張されている。それは、政治と家庭は異なる原理が適用されているのではなく、個人的な問題も政治的なことであるとする思想のもと、家族は本来法が支配しているものであり、国家の介入を語るのはナンセンスであるという議論である。この議論に従うと、国家が家族に介入しないということも、国家の政策となる。家族構成員の権利と利益を確保するためには、もはや国家の介入の排除を求める視点だけでは解決できないのである。
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