アメリカにおける親権の強さと子どもの利益の国家的保障の均衡について: アメリカで親権法・監護権法が発達してきたのは、親側からの州法に対する違憲の訴えによる憲法訴訟によるところが大きい。州法が子どもの利益を守るため親の権利を制限するのに対し、親はその制限の違憲性を争うことで立法を書き換えてきた。立法は子どもの利益と親の権利のバランスを取りながら発展してきたのである。翻ってわが国において、現在問題となっている児童虐待や離婚後の親権に関する問題を指摘するにあたって、日本法の親権は強いと主張されがちである。しかし何を根拠として強力であるのかは果たして明確ではない。アメリカを始め欧米では親権は民法のみならず国家との関係で語られており、多くは親の権利を憲法上の権利として保障している。親の権利は確固とした性格を持ち、根拠付けも明らかであって、強力な権利性を示している。しかし同時に国家は子どもの権利にも配慮しており、国家が子どもの利益や福祉を保障する強い政策あるいは法律をもっているため、親の権利は均衡を保っているのである。わが国では国家が積極的に子どもの利益や権利を保障する枠組みをとっておらず、親の自律性に任せ国家の不介入を貫いているため、子どもの権利は保障され難い。日本では親権が強いのではなく、国家の法政策が弱いのであり、今後子どもの利益と権利を中心とした家族法を改正していく必要がある。 ただし、子どもの権利と子どもの利益の相違は諸外国でもいまだ明らかではない。特にアメリカでは、国家は子どもの利益は保障し得ても子どもの権利を正面から認めているかは否かは明らかではない。単に子どもの利益を権利と言い換えるのではなく、親の権利に対抗しうる子どもの権利概念の構築を解明していくことが今後の課題である。
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