1980年代から2006年2月現在に到る《中国の対中東戦略》ならびに《中国の対中東関係》が国際関係の枠組みの変更や、未申それぞれの安全保障戦略のなかで如何に形成され、また、それが米中関係に及ぼした影響について研究を行いました。 1980年代以降、中国から中東(特にイラン)への武器移転問題は、アメリカの議会などで問題にされていました。しかし、冷戦期に、対ソ連戦略のもと、アメリカ政府は武器移転問題を大きな対立軸にしませんでした。しかし、1990年にアメリカ政府による中国の戦略的位置づけが変更され、武器移転問題が、米中間の主要対立軸の1つになりました。本研究では、特に、WMD(大量破壊兵器)の移転問題や、中国から中東湾岸諸国への移転と、イスラエルから中国への移転を並行的にとらえることで、その複雑な移転環流構造を分析しました。 さらに、中国と中東というと、日本のではマスメディアを中心に、エネルギー戦略のみの視角からとらえられがちですが、本研究では、エネルギー戦略はもちろんのこと、武器・軍事技術移転、地政学的戦略、人権外交、大国外交戦略などの複合的な戦略から研究を行い、それらの関連構造を明らかにしました。 以上の研究成果は、本紙裏画記載の小論以外にも、アジア政経学会全国大会、中東調査会などにおいて情報を提供して参りました。また、小論を読んだ韓国外交通商部の北東亜細亜課の課長補佐がインタビューに来たり、講演を聴いた中国社会科学院の雑誌編集者から寄稿を求められるなど、実りのあったものだと思われます。
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