フランスの古典経済学はケネーの経済学を中心に把握されてきたし、チュルゴの経済学にその発展と継承を見るのが通例である。しかし、フランス経済学にはグルネ・サークルに代表されるもう一つの系譜があり、それはチュルゴの王政改革の実践以降、独自の経済学を成立させるのであって、これをフランス「公共経済学」と呼ぶことができる。チュルゴ改革は、「憲政」の樹立を掲げたが、これに照応する経済社会像を描くべく、1780年代に、コンドルセ、レドレル、シエースなどが、「公共経済学」を構想した。彼らは、アダム・スミスの『国富論』特にその分業論を摂取し、これを基礎の生産の科学としての経済学を構想し、さらにこれを、公共圏と近代国家の導出の論理構想に結び付けようとした。彼らの理論は、フランス革命期初期のコンドルセとシエースの政治理論の土台として機能し、続く総裁政府期において、レドレルやデスチュット・ド・トラッシなどのいわゆるイデオローグの理論的中核を構成し、この時期のかれらによる近代的改革のヴィジョンと実践を支えた。さらに、この「公共経済学」は、セー経済学の成立にも寄与し、ナポレオン帝政期と復古王政期の自由主義的改革理論として機能し、19世紀フランス自由主義の経済思想の母胎という意義も担ったと考えられる。 以上のように、フランス古典経済学の展開過程の中に、「公共経済学」の成立と展開を読み取り、これを、むしろ古典経済学のフランス的展開の独自性を示すものとして、明示したのが、本研究の成果と考える。本研究は、チュルゴ改革期以降のコンドルセ、革命期初期のシエース、総裁政府期以降のレドレルを中心に、個別分析を行い、以上のように「公共経済学」の系譜を明らかとしたが、それぞれの個別分析についても先駆的研究となったと考える。
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