研究概要 |
江戸後期の「経済」思想の展開は,個々の徳の自覚と学習によるネットワーク的プロセスが制度枠組に先行すること,そして知識・行動のコントロールによるモラル的認知と世論とを活性化させることが,公共厚生のための制度設計とその波及効果につながることを標榜していた.というのは,これらの手段が人間本性の徳に働きかけ,非合理的行動が適応性をもつことを排除しておかなければ,あるいは政府だけでなく,民間においても,制度化に対する責任感が,互いに合意として生じなければ,信頼されるべき制度化として定着しないし,人々の厚生にとって共通なものとはなりえないからである.竹山の「常平」論にしても,その「社倉」論にしても,徳の拡大,安定持続性の下での「義利」の論理を共有しつつ,国体としての諸利と連携できる地域の発展を十分に普及させることができない地域社会では,社会的安全保障が「公共性」をモラルとリスクとの共有分担の仕組によって実現できるという,江戸期における厚生思想に行き着いたとみなしうる. 太宰春台から中井竹山にかけての「経済」思想の展開は,長期期待の下で社会意識を喚起しつつ,「公共」双方の利益をも内在させる仕組として,これ以降の「経済」思想へつながりを見いだすことができよう.しかし「義」と「利」の関係,およびこれを支えていた徳の自覚とこれにもとづく知識・行動に支えられた道徳的・協力的コミュニティが維持できないほどの時間的制約が迫り,そして合理性が狭小な方向に集約されたとき,制度設計による経済思想は,「厚生」をめぐる「公議」というフレームとして,再度,新たな段階の経済思想として再検討されるであろう.
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