日中戦争期には中国占領地の資源開発を行い日本帝国の生産力拡充を実現するという「長期建設」がスローガンとなっていった。日中戦争が「長期戦」となったことは周知のことだが、同時代の資料には「長期戦」と並んで「長期建設」が強調されていた。こうした観点から、日満財政経済研究会、東亜経済懇談会、日満支経済懇談会、興亜院、華北棉産改進会、東亜研究所など日中戦争と長期建設に深く関わった諸機関の作成した資料を網羅的に収集・検討している。その結果、日中戦争期の日本経済が資源・機械等をイギリス帝国圏・アメリカ合衆国に依存していた、という構造は、同時代の人々にも深く認識されており、そこからの脱却の方途として中国大陸-とりわけ華北・蒙疆の資源開発が重要視されたことが明らかになった。たとえば日本経済の外貨不足・入超の要因となった綿花輸入は、華北における綿花増産によって打開されることが期待され、そのための農業指導機関、研究機関が設立されて綿花栽培指導を行った。鉄鋼についても蒙疆地区を中心とした鉄鋼生産が1941年には政策構想としてまとめられ政府内および政府・民間の調整が始まっている。長期建設の具体的な構想とその実態についてはさまざまな角度から研究することが可能だが、今のところ綿花、製鉄(石炭・鉄鉱石を含む)に着目しながら基本的な資料を収集している。また、貿易構想の見取り図については「日中戦争期の貿易構想」として雑誌に発表した。
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