本研究では、満洲・華北・黄土高原の三地域を研究対象として選定し、歴史的研究とフィールドワークによる研究を併用し、一般的な中国農村社会モデルの構築を目指した。本年度は、第一・二年度における、長距離走破調査の成果をもとに、2006年8月に黄土高原で追加的調査を行うとともに、文献調査とモデルによる考察を推進し、中国農村社会の一般モデルの提唱という目的の実現を目指した。 研究成果としては以下の二点が主たる成果である。(1)安冨が兼橋正人(東京大学大学院情報学環博士課程)と協力して、満洲の人口分布を各種の人口統計を用いて解明した。さらに、1970年代から得られる人工衛星画像を利用して、満洲と山東省の集落分布の変遷を調査した。この結果、安冨(2002)が主張した県城のみが突出し、村落との間に中間的な町が見られないという構造が、1970年代には中満と北満に明瞭に見られ、それが改革開放以降、徐々に見えにくくなっていることが判明した。これに対して山東省では、1970年の時点で既に多階層の構造が見て取れる。このような構造的な違いを視覚的に確認することができた。(2)深尾と石田慎介(大阪外国語大学学部生)が共同で高西溝村の社会と環境の現代史を明らかにした。高西溝村は黄土高原のなかにありながら、唯一、まとまった森林と草原を村内に形成し、バランスのとれた高能率の農業を展開し、澄んだ水のため池を持つことで中国全土に知られている。なぜこのようなことが可能であったのかを長期の滞在型調査により明らかにした。現在のところ重要であったと考えられるのは、共産党革命の過程で、村の内部で政治的亀裂が入ることを回避しえたことであり、これによって実行不可能なノルマを主体的に拒絶し、生産性を挙げるために本当に必要なことを村という単位で考えることが可能になったことである。
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