本年度の最も重要な課題は、1861-1871年の当該都市における人口移動と労働市場の形成を1851-1861年のそれと比較することであった。新興工業都市における労働力、特に熟練および半熟練労働者の調達の仕方、都市内部における養成か、外部からの調達か、という点に関して、幾つかの興味深い事実を検出した。熟練・半熟練労働者に関する限り、1861-1871年についても、基本的に1851-1861年と同様に、内部調達率は極めて低く、半数以上は都市外部から調達していた。1870年代以前におけるイギリス労働市場の流動性の高さという好条件に恵まれて、この都市は、出来合いの、外部で技術を修得した製鉄労働者を大量に迎え入れた。高賃金と安価な住宅の供給、製鉄業者のパターナリズムは、大量の熟練・半熟練労働者をイングランド各地、あるいは遠くウェールズ・アイルランドから呼び込んだのである。少なくとも、イギリス製鉄業がドイツ・アメリカにおける輸入代替、技術革新、生産性上昇に直面し、国内においては、労働市場の流動性の低下に見舞われる1880年代まで、ミドルズバラはイギリス製鉄工業における指導的な立場を失うことはなかった。 本年度におけるもう一つの課題は、19世紀末期以降の篤志総合病院、North Ormesby Hospitalの病院記録の分析を通じて、この都市に固有の労働者のセーフティ・ネットのあり方を探ることであった。この点に関しても、労働者医療の具体的な方法(病院経営への実質的な参加、製鉄企業の醵金徴収、私的労災・疾病保障、醵出制保険の魁を暗示する制度の成立)に関する重要な事実発見をすることができた。今年度は、こうした事実発見を主な内容とする英文論文(Migration and Labour Market in Victorian Middlesbrough)を執筆することができた。2005年4月以降にダラム大学歴史学部・北東英国史研究所、ニューカスル大学などで報告する予定である。
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