本件研究による今年度の実績は、(1)鴻池合資会社所蔵の近代鴻池関係史料の閲覧および解読、(2)近代における家制度にかかる法制史料の収集(国立国会図書館ほか)、(3)各地における素封家の資産管理関係史料の収集(長崎市、福岡市、北九州市、東京都、横浜市、小田原市)であった。 近代の鴻池においては、江戸時代に一統によって営まれていた両替商経営を継承するために、明治初年の諸企業への参画を経た後、大阪第十三国立銀行を唯一の支配企業とする経営を明治前期に行った。これは一時、金融関連業務への多角化の後、明治30年代中葉以降は鴻池銀行、合名会社鴻池銀行、株式会社鴻池銀行へと主体企業が変化するにつれ規模が相対的に縮小されるとともに専業化の道を辿った。その要因は家産管理のために外部から雇い入れられた経営者および経営顧問の方針によるものであると理解されている。これを決定づけたのは華族(男爵)への授爵とそれに伴う華族世襲財産法の適用であることが調査の結果明らかにされた。大正10年の所得税法の改正による持株会社鴻池合名の設立も、一面ではこの流れの影響を受け、大正期以降の鴻池の専業化が家業=家産の維持を再度前面に押し出さざるを得ない状況となり、銀行への日本銀行からの人材登用を行ったものの、再度積極的な投資を図る機会を逸し、昭和8年の三和銀行への大阪市中銀行の合併へと繋がったという仮説を立てることを得た。 今後の課題は、具体的な関係企業の財務面も含めた明治期からの経営の分析の上に、鴻池経営者の具体的な経営戦略の検討、合名会社の意思決定の役割、家サイドからみた企業経営の役割の分析である。
|