本年度は、まず近世末期上田藩上塩尻村の『開作書上帳』や『貫高帳』を用いて、村内耕地一筆毎の所有・経営に関するデーターベース作成作業を行ってきた。しかし情報量が膨大なため、本年度のみではこれを完成させることは出来なかった。来年度も引き続き、この作業を進めたい。しかし現時点において取り纏めたある同族に関する情報によると、村内耕地のうち、田と畑では、その質入・質流の取り扱い方が異なっていたことを見い出した。畑の場合には早くから同族外の家々に畑地が質置に出されていたのに対して、田の場合には19世紀初等まで、同族内で資金融通が可能であるならば、同族内部の家々、特に本家に田地の質入等が行われた。また上塩尻村の家々は、田の場合、小作地を増やして規模拡大するよりも、自作地化しようとする傾向があり、逆に畑地については、経営拡大を小作地を増やすことによって実現していた。ただし蚕種業の発展を受け、近世末期には、条件の悪い田地を畑地に転換する割合も増大していた。 さらに村内の幾つかの一件・騒動、家々の没落過程等に関する資料を収集・分析した。そしてその結果、これらの事件に対して、村内の家連合、とくに同族が関与し、問題解決にあたっていたことが明らかになった。村内の社会秩序を維持する上で、同族が果たしていた役割は、非常に大きかったといえる。もちろん時代的に近世末期であるから、すでに家々は独立性を高め、個々の家毎との利害を追求し、マケの纏まりは弱体化していた。しかしながら個々に独立した家々であっても、特に家の継続に関わる事柄や、土地所有・土地金融に関する問題については、関与し合って、問題解決にあたっていた。 最後に本年度、新たに村内の二つの旧家から新たな資料が提供された。それぞれ村内マケの本家筋にあたる家々であり、現在これら資料の整理・調査に取りかかり始めたところである。
|