本年度も、主に近世期信州上田藩上塩尻村の「貫高帳」並びに「開作帳」を用いて、村内耕地一筆毎の所有者・耕作者に関するデーターベース作成を進めた。しかし残念ながら本年度まででこのデーターベースを完了させることはできなかった。来年度もこのデーターベース作成作業を継続したい。 本年度において、この村の土地所有・移動について明らかになったことは、以下の通りである。 まず村内の耕地筆数が、17世紀から19世紀にかけて、かなり大きく変動していたことがわかった。これは、水害による流出や、堤防用地として耕地が潰されたためであった。また一筆の土地を、特に土地移動の際に、複数に分割している現象も見て取れた。これは、単なる帳面上の分割ではなく、実際別々の耕作者が記載されている例が見出せるので、現実に耕地分割を行っていたと考えられる。 またこの村では、17世紀から非常に活発な土地移動が見られた。この土地移動の内実を、ある同族の例で確認してみると、その各家々が所有していた土地には、二種類の土地が存在していたように感じられた。一つは、短期間に移動を繰り返す土地である。もう一つは、長期間にわたり所有し続ける土地であった。この同族の場合、17世紀ないし18世紀前半までに入手した土地は後者となり、長年にわたり所有し続ける場合が多く、また移動する際には、同族の家々に、まず最初に移動する例が比較的多かった。これに対して18世紀後半以降に入手した土地は前者であり、比較的短期間に手放す例が多かった。これらの事実は、農家は先祖代々の土地を家産として手放さない、という従来から主張されてきたことに適合的である。同時に、近世村落社会における活発な土地移動の存在という事実に対しても適合的である。つまり農家は、所有地を、長期間保有する土地と移動させうる土地という2種類に分け、異なった対応をしていたと考えられるのである。
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