本年度も引き続き、主に近世期信州上田藩上塩尻村の「貫高帳」並びに「開作帳」を主に用いて、村内耕地一筆毎の所有者・耕作者に関するデーターベース作成を進めた。しかし残念ながら、研究期間最終年度である本年度まででも、このデーターベースを完了させることはできなかった。新資料の発掘や新たに地図資料との対比にも取り掛かったためである。今後も新資料を含め、データーベース作成を進めていきたい。 本年度において、この村の土地所有あるいは利用について主に明らかになったことは、以下の通りである。 まず通常近世村落史においては、どうしても資料上の制約から、土地(耕地)と家との関係を、所有関係のみにて把握せざるを得ない。しかし上塩尻村においては、上記「開作帳」という資料を用いて、村全体における土地利用の状況が把握できる。未だデーターベースが完成していないので、途中経過にすぎないが、上塩尻村においては、土地移動を行った後も直小作を行い、土地利用の面からは土地と家との関係は継続すると言われている一般的状況とは異なり、家は、頻繁にその利用する耕地を変更していた。これは小作を行っている場合、特にその傾向が強くなる。数年で、異なる所有者の異なる耕地を経営している例が多く見られるのである。これは従来の単純な土地利用をめぐる家と土地との関係に再考を求める事実であると思われる。 さらに、上記の点とも関連して、土地をめぐり、様々な家々の諸関係が交錯していることが見えてきた。土地所有者(地主)と小作との関係についても、単に土地所有者と土地賃貸者という関係のみが両者間の関係性であったわけではなく、例えばその他に、大家と借家人、雇用主と奉公人、五人組組頭と組員といった様々な諸関係と共に、土地賃借関係は成り立っていたことが伺えるのである。
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