近世村落社会にあっては、一方で農民の家の形成により、家と所有地との結びつきが強まったと言われている。しかし他方で、頻繁な土地所有移動が行われていたことも指摘されている。上塩尻村の分析を通じて、以下のことが明らかになった。家々が所有していた土地には、二種類の土地が存在していた。一つは、短期間に移動を繰り返す土地である。もう一つは、長期間にわたり所有し続ける土地であった。ある同族の場合では、17世紀ないし18世紀前半までに入手した土地は、その後も長年にわたり所有し続ける傾向にあり、また移動する際には、同族の家々に移動する例が比較的多かった。これに対して18世紀後半以降に入手した土地は、比較的短期間に手放す例が多かった。これらの事実は、農家は先祖代々の土地を家産として手放さない、という従来から主張されてきたことに適合的である。同時に、近世村落社会における活発な土地所有移動の存在という事実に対しても整合的できる。またこの先祖代々所有し続ける土地の形成時期は、家々によって異なっていたことも明らかとなった。 また従来の研究は、どうしても資料上の制約から、耕地と家との関係を、所有関係のみにて把握せざるを得なかった。しかし村全体における耕作の状況が確認できた上塩尻村では、土地移動を行った後も直小作を行い、耕地利用の面からは両者の関係は継続するという状況はあまり一般的ではなく、耕地は頻繁にその耕作者を変更していた。これは、従来の単純な土地利用をめぐる家と土地との関係に再考を求める事実である。さらに土地をめぐり、様々な家々の諸関係が交錯していることが見えてきた。地主と小作人との関係についても、単に土地賃貸関係のみが両者間の関係性であったわけではなく、例えばその他に、大家と借家人、雇用主と奉公人、五人組組頭と組員といった様々な諸関係と共に、土地賃借関係は成り立っていたことが明らかとなった。
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