2004年から2005年の初年度における研究活動は、主として以下4つのテーマを中心に行った。1.ルワンダ問題2.少数民族保護及び人類に対する犯罪への説明責任のための国連メカニズム3.スリランカにおけるジェノサイド防止と少数民族保護4.2004年10月14日から16日のジェノサイドに関する国際会議において発表された基調講演 (米カリフォルニア州サクラメントにて開催) 1.ルワンダのジェノサイドから10年が過ぎた。これを記念して2004年4月3日から6日までキガリにおいてジェノサイドに関する国際会議が開催されたのであるが、筆者は同会議のための寄稿文を手掛けた。その内容はルワンダのジェノサイドに加担した諸外国の責任を問うもので、本来のプログラムには含まれていなかったテーマである。更に、ルワンダ政府に対する提言作成にも参加した。そして翌日の4月7日には、やはりキガリで催された、ジェノサイド10周年国家記念式典にも参列した。その後、政府関係者、NGO指導者、ジェノサイド研究者等との会合を持った。中でも司法関連問題については、Jean de Dieu Mucyoルワンダ検事長、Richard Renaud国連ルワンダ国際法廷(ICTR)主席捜査官、それにDallaire将軍らも交えた最高レベルの会議となった。ガチャチャ・プロセスの上級顧問を務めるAnastase Balinda氏との会合では、近々予定されている裁判に向けての体制作りが話題になった。【ガチャチャ裁判の傍聴が2005年から2006年にかけて予定されている。】ICTR主席捜査官Renaud氏との話し合いの一部、及びガチャチャ裁判に関する報告の一つがスイス・ロマンド放送に送られた。 (http://www02.couleur3.ch/rwanda/archives/2004/05/07/)ルワンダでの調査における主眼は、ガチャチャ(gachacha、フランス語の綴りはgacaca)と呼ばれる伝統的裁判形態が現代社会においてどのような機能を果たしているか考察することにあったが、これについては以下の人々にインタビューを行った: 最高裁判事Muzinsi氏、第7ガチャチャ部門関係者(a/o. Balinda)、人権委員会ガチャチャ監視官Ph Kagabo博士、否認に関する検査官Ndahiro氏、最高裁副長官M.Ngoga氏(ルワンダ-ICTR間の折衝担当)、国連ルワンダ支援団前司令官Romeo Dallaire将軍(4月1日、アディス・アババにて)、ジェノサイド研究者(Erwin Staub教授、Eric Markusen博士など)、ルワンダ人学者Anastase Shyaka博士、地元NGO指導者達 2.2004年7月19日から29日まで、ジュネーブにおいて先住民に関する作業部会第22次会合、及び国連人権委員会第二小委員会開会式に参加した。「先住民と紛争解決」という主要テーマに関する筆者の講話が人権高等弁務官のサイトに掲載されている。アドレスは以下の通り: http://www.ohchr.org/english/issues/indigenous/docs/statements22.htm/HPI.doc 又、第二小委員会に対する更なる勧告を特別報告者Alfonso Martinez氏及び人権高等弁務官事務所(OHCHR)に対して行った。8月13日には、ハーグのユーゴスラビア法廷(ICTY)主任検察官であるCarla Del Ponte氏にインタビューを行い、刑事裁判やミロセビッチ氏の処遇、具体的にはジェノサイドに関する告訴などについて同氏の見解を尋ねた。説明責任を追求する上での非政府間国際機構(INGO)の役割に関しては、アムネスティ・インターナショナル事務局長Irene Khan氏にインタビューを行った。ルワンダのジェノサイド、その事後処理、及びジェノサイド発生の危機全般における同組織の役割などについても尋ねた。 3.2005年2月に行ったスリランカの現地調査は、津波やバティカロアでのタミール人指導者殺害に大きく影響された。この調査の大きな収穫は何といっても、ジャフナで国連人権委員会北東事務局(NESOHR)局長のKarunaratnam神父に会うことが出来、同じくジャフナのLTTEメンバーであるElamparithi氏、そしてタミール人国会議員でありTNA指導者でもあるSampanthan氏などに直接話を聞くことが出来たことである。バティカロアでは1990年7月のスリランカ軍による大量虐殺の証人を何人か探し当てることが出来た。更に、特にユニセフなどの国連機関や国内外のNGO協力者、政府関係者に対しても聞き取り調査を行った。
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