研究課題/領域番号 |
16530348
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
社会学
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
長谷 正人 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (40208476)
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研究分担者 |
難波 功士 関西学院大学, 社会学部, 助教授 (20288997)
北田 暁大 東京大学, 大学院・情報学環, 助教授 (10313066)
丹羽 美之 法政大学, 社会学部, 専任講師 (00366824)
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研究期間 (年度) |
2004 – 2005
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キーワード | 社会的コミュニケーション / 文化・社会意識 |
研究概要 |
本研究は、テレビの歴史を原理的に捉え直そうとする試みだった。そのとき分析のキーワードにしたのが、「文化」と「メディア」である。テレビは原理的には、この二つの極の間を揺れ動いてきた。一方でテレビはドラマやバラエティのように、「文化」として様々な「娯楽作品」を提供し続けた。だが他方でテレビは、そうした「作品」や「娯楽」であるだけでなく、何かの出来事を伝達するための「メディア」でもあり続けた。ケネディ大統領の暗殺事件の報道から衛星中継が始まったことに象徴されるように、テレビはさまざまな出来事を「生中継」してきただろう。そこではテレビは、「作品」である前に、自らを透明なメディアとして、現在の出来事を視聴者に伝達する役割を果たしてきた。 本研究は、このテレビの二つの可能性(文化/メディア)が、相互に拮抗しあいながらどのようにテレビ文化の歴史を形作ってきたかを分析した。とりわけ私たちは、こうした「文化」と「メディア」が緊張を持って交錯していた時代としての1970年代のテレビのありように注目した。1980年代のテレビを見直してみると、「元気が出るテレビ」のように、自作自演的な要素が視聴者に自覚されている「メディア」的な番組が主流になる。逆に60年代まで遡って見ると、そこには「夢であいましょう」のように、「文化」としてのテレビ番組がはっきりと見えてくる。しかし70年代にはテレビのメディア性が製作者に自覚されているにもかかわらずに、それが相変わらず文化としての相貌を持って作られていたとしか思えないのだ。それを資料の分析だけでなく、露木茂氏や山田太一氏や小谷秀穂氏などへのインタビューを通して明らかにしたのが本研究である。
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