本年度は、1950年代〜1970年代の家族変動および心身障害の発生予防、障害者福祉制度の発展といった障害児対策について、資料収集とそれらの分析を行った。そこから得た知見は以下の通りである。 1950年代〜1960年代の家族計画運動は、生殖について自己決定(子ども数や出産間隔の決定など)をなすべきだという考え方、老後扶養を子どもに期待することを否定する考え方を普及させる思想運動の側面をもっていた。したがって、この運動は、家族制度を廃止した改正民法と相まって、家族意識、家族秩序の変化に大きく寄与したと考えられる。 戦前期の乳児死亡の原因であった先天性虚弱や肺炎、腸炎が減少し、1950年代以降には先天性異常や早産(未熟児)、出生時の損傷などの問題が顕在化した。雑誌『主婦の友』には、1950年代に、避妊の失敗は心身障害児の出生につながるのかという質問が度々登場し、専門家がそれを否定する記事が掲載されている。また、同誌には、精神薄弱児や早産児をどのように養育してきたかという母親による手記が度々登場し、読者から大きな反響が寄せられたという。このような記事は、障害児等の生活実態と養育上の困難を顕在化させる機能を担ったと考えられる。1950年代には「手をつなぐ親の会」が、1960年代には「子どもを小児マヒから守る会」「ダウン症親の会」「脳性まひ児を守る会」など、障害児の親の組織化が進行し、1966年には障害児の全国調査が初めて実施される。以上のような動きは、障害児に対する教育・福祉政策を進展させると同時に、発生予防対策を促進させることとなった。 家族計画思想の普及は、生殖の自己決定の確立およびその決定に対する親の責任の強化をもたらし、子どもに対する2方向への人々の態度を形成していったと考えられる。1つの方向は「子どもの命の選別」(優生)であり、他方は子育ての経済的・身体的・心理的負担の増大に伴う「出産・育児の忌避」である。
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