本研究から得られた知見は以下のとおりである。 1.1945年〜1950年代における優生保護法の成立・改正過程とその機能、および法律成立以後の家族変動について考察を行った。優生保護法は人工妊娠中絶と不妊手術を激増させ、国民の貧困対策および産児調節の機能を担った。人工妊娠中絶の激増への危機感は、避妊知識・技術を普及させる運動(家族計画運動)を促進した。同時に、その運動は、子どもに対する価値観や親の役割意識の変革を目指すものであった。たとえば、この運動において、子どもを労働力資源として、あるいは老後の親を扶養する存在とする考え方は強く批判された。 2.1950年代〜70年代における家族変動と児童福祉政策との相互関係について考察を行った。この時期の児童福祉政策は、人口資質を向上させるため、乳児死亡率の地域間格差の是正、幼児に対する健康診断の実施、障害児の早期発見・早期治療体制の確立、児童福祉施設の拡充を目指した。1950年代〜70年代においては計画的な出産行動が普及し、出生率が低下するに伴い、子どもを生むかどうかを選択する親の責任、子どもを養育・教育する親の責任が強化され、出生した子ども1人1人の生命を尊重する社会意識が形成されていった。このような変化のもとで、生存自体が危うい子どもや障害をもつ子どもの生存権を保障する政策が推進された。それと同時に、子どもの生命を管理する政策、すなわち優生政策および障害児の出生を予防する対策が進行したのである。 このような対策が推進された背景には、日本がこの時期に、福祉国家としての道を歩みはじめたことが大きな影響を及ぼしていた。福祉国家とは、すべての者に人間らしい最低限の生活を保障すると同時に、個々人の生のあり方に介入し、個人が自分の生命を管理することを積極的に援助する国家だからである。
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