研究課題
基盤研究(C)
本研究は、家庭学校の創設者留岡幸助(1864-1934)が、1903年の欧米での社会施設の視察により何を学び何を語ったかを検討することによって、近代の日本人が欧米の感化教育情報をいかに獲得したかを考察することを目的としている。彼は1914年に家庭学校北海道農場を開設した際、家庭学校のシステムとしてヨーロッパの施設のコロニーシステムを採用すると述べた。しかし、彼がどこのヨーロッパのコロニーシステムを視察したかという問題については、既往の研究では答えられてこなかった。既往の研究では基礎的資料の検証を欠いていたためである。それ故、本研究では留岡によって記された記録文書や留岡が欧米で収集した書物を所蔵する東京家庭学校の蔵書目録を作成し、それらの検討によって、次の点を解明した。第一に、留岡のコロニーシステムのイメージは、スイスベルン近郊のヴィッツヴィル殖民監獄への訪問によって形成された。留岡は、ヴィッツヴィルは高塀もなく周囲を閉ざす海もないと説明していたが、ヴィッツヴィルでの調査の結果、ヴィッツヴィルには塀を有する施設と塀の外の施設とがあったことがわかった。留岡は後者だけを強調したのである。第二に、留岡は、ボーデルシュビングが設立したヴィルヘルムドルフやフライシュタットをホームレスや寄る辺なき人々のために効果的なコロニーであると日本の人々に紹介した。しかし、実際には彼はボーデルシュビング複合施設ベーテルの他の施設を訪問してはいたが、ヴィルヘルムドルフやフライシュタットは訪問せず、雑誌"Bote von Bethel"によってこれらの情報を得たと考えられる。つまり、留岡の理解をバイアスとして、西洋情報が日本に紹介されたのである。近代における日本人の欧米感化教育情報の理解のあり方は、情報伝達者の理解により左右されていたのであり、感化教育の場合も例外ではなかった。
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『渋沢研究』渋沢史料館 18号
ページ: 29-50
The Jounal of Shibusawa Stduies(Published by the Shibusawa Memorial Museum) Vol.18
教育学研究(日本教育学会) 第72巻3号
ページ: 1-13
The Japanese Journal of Educational Research(Pblished by the Japan Society for the Study of Education) Vol.72 No.3