平成17年度には、教育自治の内実をなす地域と学校の接続を把握する視座を確定したうえで調査研究を進めることができた。その視座とは、全国的に地域社会が大きく変動した1960-70年代に焦点を合わせて、中学卒業後の進路動向や働きながら学ぶ学校としてはじまった定時制高校の盛衰を通して、地域と学校の接続のあり様を追求するというものである。奥丹後では、戦後まもなく府立の3高校すべてに定時制が設置され、その数は本校・分校をあわせると7校に及んだ。しかし、1960-70年代を経過するとともに定時制課程の閉制が相次ぎ、現代では網野高校間人分校のみとなった。それは、全国的な定時制高校をめぐる動向でもある。1960-70年代の地域と学校のかかわりという点で注目される定時制高校として、一方の極に繊維産業が盛んだった1960年代から80年代にかけての間にだけ存在した昼間二交代定時制高校がある。もう一方の極に地域の後継者養成という期待を担って現在も存続している昼間定時制高校があり、奥丹後同様、京都府の僻地に相当する南丹市の京都府立北桑田高校美山分校がその代表となっている。これらの動向を探ることによって、逆に奥丹後、ひいては全国的な動向を照射することができるとの判断のもとに、昼間二交代定時制については文献研究を進めた。また、奥丹後の峰山高校弥栄分校に加えて、北桑田高校美山分校についての現地調査を進めた。美山分校は、戦後まもなく青年学校を母体として複数設置された分校を母体として、全国的に定時制高校の統合・廃校が進められていた1975年に開校され、地域の後継者づくりを目標にかかげた。注目されるのは、到達度評価は学校と地域の接続を破壊するものだとの証言を得たことである。なぜそうなったのかを、実践・理論の両面で追求することが今後の課題となった。教育学における地域の位置という問題も改めて検討する必要がある。
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