米国において、1980年代以降のプラグマティズム・ルネサンスとともに、デューイを指導者とする進歩主義教育の再評価の動向が生じている。本研究は、デューイ、キルパトリック、カウンツ、チャイルズ、ボーダらを主要メンバーとする進歩主義教育の米国での評価の動向を考察し、進歩主義教育がポストモダンの現代においても評価されうる側面を解明することを目指した。 本研究は、第1部「進歩主義教育と社会改造」、第2部「進歩主義教育と学校教育」からなる。第1部では、ジルバースミット、カールソン、スタンリらの所論から、進歩主義が、教育改造、社会改造に深い関心を持っていることを明らかにした。すなわち、デューイ的な進歩主義は、デューイの社会経済的、政治的分析と結びつけられた教育における民主主義を実現する手段としての集合的な社会的英知を価値づけ、その育成を通して、競争、効率よりも、対話、協同、公正を価値とする社会の実現に努めていることを明らかにした。 第2部では、バン・ティル、バイネキー、ハーシュ、フィッシュマンらの所論を中心にして、進歩主義が現代学校教育へ示唆するものについて考察した。教育において、子どもの興味、学習への動機づけ、子どもの発達、子どもの活動こ思考を通しての学習、教材、子どもを取り巻く環境、教師の指導性はどれも進歩主義が重視するものであり、どの一つの軽視も進歩主義は容認しない。進歩主義は学力低下をもたらした、あるいは中産階級的価値の注入に寄与したという批判は、進歩主義を誤解した実践か、教師の無力さから由来した教育に向けられたものであることを明らかにした。
|