本年度の研究で新たに明らかになったのは、特に次の三点である。 (1)田中耕太郎とジャック・マリタンの出会いの時期について 田中が、ジャック・マリタンを哲学者として初めて認知したのは、1926年発行のボンヌカースの著作『法学入門』を通してであることが、田中がマリタン宛に出した手紙(1931年3月付)から明らかになった。また既にこの手紙が出された時点で、田中がマリタンの人格論が展開されている『三人の改革者』を読んでいたことも同時に明らかになった。 (2)マリタンの人格・個性概念の田中への影響について 岩下壮一はその論文「キリスト教の世界観と教育」(1932年6月)において、人格・個性概念を用いて、新教育批判を行っているが、これは岩下が1930年に既に訳了していた『三人の改革者』のルター論の人格・個性概念を用いたものと思われる。この論文を田中は熟読しており、戦後教育改革期に田中が同じく人格・個性の概念を用いて、自由主義的教育批判を行ったことには、この岩下論文の影響が認められる。マリタンから田中への直接的影響に加えて、田中が最も信頼を置いていた岩下壮一がこの概念を用いた影響は大きかったと思われる。 (3)「道徳的人格の完成」について 田中は1937年に政治の目的は「道徳的人格の完成」であるという表現を初めて用いた。田中が「人格の完成」に道徳的という形容詞を付加したことは、田中の立場が安倍次郎に代表されるような、自由主義的な人格主義と異なることを示している。また教育基本法要綱案に見られる田中の教育目的案「真理の探究と人格の完成」が、単なる「人格の完成」でないことも、田中の人格主義の立場の特殊性を示したものと解することができる。
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