本年度の研究では、戦後の音楽科教員養成成立期にあたる終戦直後の10余年間に焦点をあて、米国の占領政策の影響を受けた我が国の新たな教員養成の理念と方法に基づく音楽科教員養成の理念と方法、及びそれらの変遷について考察した。戦後の教員養成は、1946年の米国教育使節団報告書によって、師範学校を中心とした従来の教師教育が厳しく批判されたことから始まった。新たな教員養成は、「大学における教員養成」と「開放制」の理念という二大原則に基づいて1949年に開始され、教師教育を目的とする大学・学部を特設するか否かについては、教員養成を「目的とする」のではなく、それを「主とする」学芸大学構想という折衷案が採択された。これに伴い、国立のいわゆる教員養成系の大学・学部において、小・中学校の教員養成のための音楽教育が行われ、私立の音楽大学も教員養成の一端を担った。そこでは新たな理念に基づき、教員養成における音楽専門教育は、音楽専門家を養成する音楽大学のそれと変わりはないと考えられていた。しかし、戦後の荒廃の中で始まった教員養成は、理想は高くとも現実には多くの問題をかかえており、音楽科教員養成においても、施設・設備の拡充、大学教官の教育・養成及び音楽教育研究の充実、教育職員免許法上の音楽専門科目の必修単位数増加などが指摘された。文部省は、教師教育を行っている大学・学部の目的と性格の不明確さがこのような問題の解決を困難にしているとの理由で、1950年代後半から国立の教育系大学・学部の「目的大学化」を推進し始めた。音楽科教員養成においても、かつての師範学校的性質と音楽学校的性質が併存している中途半端な状態が問題視される中、やがて当時の教育政策に従って、目的大学化が施行されることになっていった。
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