本研究は、明治30年代半ばに来日した南ウェールズ出身のイギリス人女性教育家エリザベス・フィリップス・ヒュースの生涯と、我が国の美術教育思潮に与えた影響(黒板画ブームとでもいった現象を引き起こした)について、詳細なデータを添えて解明しようとしたものである。 研究期間中は、和文・英文文献資料の収集に努め、ヒュース関連文献目録(延460件ほど)をファイル・メーカー・プロ7で作成した。その一方で、国内では北海道大学、北海道立図書館、札幌市立図書館、秋田大学、秋田県立図書館、福島県立図書館、筑波大学、東京大学、国立国会図書館、国立教育政策研究所、名古屋大学、和歌山県立図書館、岡山県立図書館、鳥取大学、鳥取県立図書館、米子市立図書館、山口県立図書館、下関市立図書館、長崎大学、長崎県立図書館、佐賀大学、大分大学、鹿児島大学等、イギリスではニューナム・カレッジ、ヒュース・ホール、ケンブリッジ大学、カマーザン、大英図書館、ウェールズ大学、カーディフ、グラモーガン・レコード・オフィス、バリー図書館、バリー市役所、バリー・タウン・カウンシル、バリー墓地等において調査を行った。 結果、ヒュースの日本地在中の詳細な行動記録と発言の全容を知ることができた。他方、イギリスでは、ヒュースの卒業したニューナム・カレッジや彼女が創設したヒュース・ホール(当初はケンブリッジ・トレーニング・カレッジ、1949年ヒュースに因んで改称)に関する文献・映像資料、ヒュースのウェールズ大学名誉博士号授与記録、遺産相続の記録等を得ることができたし、バリー市内のヒュースの自宅("Penrheol"2 Parkroad)、墓(バリー墓地H75)、死因(動脈硬化による尿毒症)を突き止めるなど、ヒュース本人とその家族について多彩な情報が得られた。冊子体では、ヒュースの一生と日本での軌跡、明治中期以降の我が国美術教育思潮に与えた影響、ヒュース関連資料等について詳細に報告した。
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