○研究のフレームワークの検討 ・感化教育は、戦前における児童保護事業としてもっとも早く法制化された事業であった。そして、社会全体が少年非行や犯罪を未然に防ぐ環境整備をすすめることも焦眉の課題であった。また、実践的には教育により不良少年の可塑性を開花させる方法をとったため、社会政策の一環でありながらその日常的ないとなみに着目するならば、公教育を補完する役割を果たした。例えばこの事業の先駆者である留岡幸助が報徳会を組織し、地方改良運動に力を注いだのも、地域住民の福祉力・教育力を高めることの必要性を実感していたためであろう。このような視点から、感化教育における教育問題および障害児問題の展開を分析する枠組みのひとつとして、現代的な問題の所在-地域福祉と障害者問題との関連-を明らかにする研究を行った。 (「地域福祉の視点からとらえた障害者社会教育」『社会教育研究年報』2005年3月末発刊) ○資料収集などの研究の基礎作業実施 ・留岡と同様に感化教育会のオピニオンリーダーであった池田千年に関する文献・資料の収集およびリスト作成などの基礎作業を行った。池田は、精神科医であり且つ兵庫県立土山学園の第二代園長として感化教育実践に携わり、感化法改正運動など制度改革にも積極的に関与した人物である。また、土山学園内に「低能児」「低格児」のための特別学級を開設し、入所児童の特性や理解力に応じた教育実践を担った。それゆえ、池田を戦前期の感化教育における障害児問題の展開に関する研究のキーマンとして位置づけ、彼の保護児童(感化院入所児童)教育論文責のための基礎作業をすすめた。 これらの成果は、2005年5月開催の日本社会事業史学会にて口頭発表の予定である。
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