平成16~17年度の2年度の間に典型的なバスティード都市を15都市実地踏査し、各都市において入手可能な主要な文献、地図、地籍図、既往論文などを収集した。また国内でもバスティードに関する文献資料を探索し、ほぼ基盤的なデータは集めることができたと考えられる。 ついで収集した資料を詳しく分析するとともに、実地踏査の結果を照合させ、成果報告書の作成を行った。成果報告書はバスティードが成立する中世ヨーロッパの政治・経済的背景を明らかにしながら、バスティードの都市プランを数多く収集し、これをあらたな観点から類型化することに成功した。この独自の類型によると、バスティードは従来指摘されているように、完全な計画都市のみとはいえず、実に多様な形態をとるが、その形態は先行条件(地形、市門、広場のレイアウト、教会勢力など)から規定を受けつつも、ある種の合理的解決に向かったということができる。少なくともバスティードはわが国でほとんど知られておらず、中世西欧都市が迷宮状の都市であったという一般的理解からすれば、今回の基盤的研究によって、わが国におけるバスティード研究の端緒を開くことができたということができる。 バスティードのもう一つの問題は、都市中央部にレイアウトされた広場の存在である。バスティード建設時に交わされた慣習法証書、パレアージュなどの解読から判明することは、広場は宗教的要素とはほとんど無関係であり、むしろ広域における交易の拠点としての位置づけが明らかである。このことは古代ローマ都市に登場したフォルムがいったん消滅し、社会的分業の進展により、都市や農村の新規建設が進み、広範囲にわたる交易や流通が展開したことがわかる。バスティードは英仏の緊張関係とともに、西ヨーロッパ全域にわたって展開した経済的発達と交易ルートの多様化と深く関係していると思われる。この結論をさらに展開するためには、さらなる調査が必要である。その足がかりとして、ヴィル・フランシュ・ド・ルエルグに本拠をおく、バスティード研究所と研究協力を行うための面談が成立したことは大きな成果である。この協力体勢を基盤として、今後バスティード研究を一段を進展していく予定である。
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