本研究は、わが国の住宅地開発において、宗教施設がどのように介在したのかを歴史的に明らかにすることである。昨年度には、わが国の宗教団体の側から最も重要な事例として、北海道開拓における仏教、キリスト教による宗教施設設置を中心にして明らかにした。本年度は、引き続き、他地域での宗教施設設置について調べたが、それは比較的限定されたものであることがわかった。その背景として、国による宗教政策により、明治19年以降、わが国では原則として新たな宗教施設を創設することは禁じられていたことがあった。それでも北海道などで多くの宗教施設が作られたのは、新たな開発地域には特別なケースとして設置が許可されていたからであることも明らかになった。 そこで、引き続き「新開地」などとして、近代以降に全国で新たに開発された都市郊外の地域における宗教施設設置の例を調べた。その結果、典型例として、炭鉱集落に着目した。特に、類似した炭鉱集落がまとまって作られた九州筑豊地方の旧産炭地域を調査対象とした。三菱、古河、三井などにより明治末から開発された筑豊の炭鉱集落では、住棟を中心とした街区が計画的に作られていった。それは、いわゆる郊外住宅地とは居住階層等が異なるものであるが、郊外地に生活が展開されるという点においては同じであり、そこでは居住者の精神的なより所として、必ず神社が設置されていることがわかった。さらに、神社の配置には特徴があり、街区からは距離をおいた高台に配置されているものがほとんどであった。 こうした調査結果から、この研究では、わが国の郊外地での宗教施設の計画は、(1)新たな開発地域に限定されたものとなっていたこと、(2)それでもそうした新開発地では、精神的より所として宗教施設が計画的に設置されていたことなどが成果として明らかになった。
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