明治期の南進論はいわゆる「南洋」への日本人の進出を促し、遠くは北オーストラリア・トレス海峡の木曜島からフィリピン、台湾、ミクロネシア(旧南洋群島)の島々まで、多数の日本人セトルメントを生み出した。本研究は、こうした流れの中で、麻農園の開拓事業に成功し、太平洋地域でハワイに次ぐ在外日本人居住地(1940年代初めには約2万人が在住、そのうち約半数が沖縄出身者であった)となったフィリピン・ミンダナオ島ダバオにおける「日本人町」の空間的及び社会的特質を分析し、「南洋」における日本人セトルメント形成の系譜の中に位置づけることを目的としている。 具体的には、次の作業を行った。 1)米国公文書館(メリーランド州カレッジパーク)において第二次世界大戦時に米軍が撮影した1944年当時のダバオの航空写真や爆撃対象を特定するために軍事目的で作成された地図等を基礎資料として収集した。また、ハワイ大学ハミルトン図書館、ビショップ博物館等において、南洋関係の文献資料や写真資料を閲覧・収集した。 2)19世紀末から20世紀初頭頃の木曜島、沖縄の南大東島、台湾・高雄周辺における製糖業セトルメント等、ほぼ同時期に日本人が産業開発を進めた「南洋」各地のセトルメントとダバオの社会的・空間的特質を比較しつつ、太平洋島嶼地域を大きく変容させながら第二次世界大戦の終了とともに終わった日本人移民によるセトルメント形成の流れについて明らかにした。
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